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そして本日の「ワイシャツを着たムーア人」(ムーア人とは黒人全体をさしていたようです)というスィーツも、できたほどです。生クリームの部分をワイシャツに見立てたウィーンの暖かいデザートです。チョコレートスフレが意外に軽く、ペロリと頂けてけてしまいます。 えっ?おかわりですか? ちょっとお待ち下さい。これは蒸し焼きにするので、もう少しお待ち下さい。
その間に話を進めましょう。
フリーメースンに入会した後、モーツァルトは続々と傑作を生み出しました。イタリア出身の宮廷詩人ダ・ポンテとコンビを組み、「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」とヒットを飛ばしましたが、ここでモーツァルトは、はたと気づきました。
「自分たちの母国語(ドイツ語)のオペラを作ろう!」
オペラと言えばイタリアオペラという概念があった時代でしので、皇帝もなかなか首を立てにふりませんでした。が、フリーメーソンの会員でもあり脚本家であるシカネーダの助力もあり、モーツァルトは「魔笛」の作曲に着手することができました。しかしこの頃から徐々にモーツァルトの体調がおもわしくない上に借金苦も重なり、彼は高額の報酬の前金を持って現れた匿名の依頼人からの「レクイエム」の作曲をも引き受けたのでした。重病の時にレクイエムの作曲なんて、あまりにも残酷。おまけにモーツァルトが妻のコンスタンツェに「僕はどうも毒をもられたようだ」と言ったとかで、サリエリは増々疑われるばかりでした。
モーツァルトの結婚式も葬式もここで執り行われた(左)と
モーツァルトの晩年の家(ガラス張りの建物) 跡地はデパートに(右)
かなり後になってわかったことですが、このレクイエムの依頼主はシュトーパハ伯爵ということがわかりました。では、何故、何のために、と思われるかもしれませんね。この伯爵、ちょっと変わった趣味の持ち主で、作曲家に曲を依頼しては、あたかも自分が作曲をしたかのように吹聴する人物でした。モーツァルトに依頼した時も、自分の亡き妻のためにレクイエムを書いて欲しいために、匿名の使者を送った訳です。まあ、人騒がせなことをする人ですね。それにしても、お気の毒なサリエリ先生。
結局モーツァルトはこのレクイエムを完成させることなく亡くなってしまいました。 ここで慌てたのはコンスタンツェです。 未完では報酬を全額もらえませんものね。 そこでコンスタンツェはモーツァルトの弟子のジュスマイアーを焚き付けて、何とか書き上げさせた訳です。ですから今となってはどこまでモーツァルトが書いたのか・・・ということが、「毒殺説」以上に謎に包まれています。
さて、デザートもできあがったようです。型からお皿に返してたっぷりとチョコレートソースをかけます。
そうそう、モーツァルトは大のチョコレートファンで、彼の母、アンナ・マリアもチョコレーとケーキを良く作ったようです。
最後に泡立てた生クリームを添えて、できあがりです。
熱いうちに、どうぞ召し上がれ!
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