1787年ウィーン。
今回のお話は、シューラー通りにあるモーツァルトの家から始まります。
|
|
|
|
|
|
|
ベートーヴェンのサインも見られるウィーン最古のレストラン
グリーヒェンバイスル
|
今をときめくモーツァルトの所には、若手の音楽家達が毎日のようにモーツァルトのお墨付きを貰いたいために詰めかけていました。
朝。眠気からまだ目醒めないモーツァルトは、うつろな目で若い音楽家をジローっと一瞥しながら「今日も自称天才音楽家のおでましか・・・」と心の中でつぶやいていました。
モーツァルトにしてみれば、この仕事にはウンザリしていたようです。
でも、生来サービス精神旺盛な彼ですから、陽気にピアノを弾くように促しました。
「ビッテ シェーン(どうぞ)!」
「どうせこいつも大したことないんだろうな」 と鼻じらみながら・・・。
ところが青年がピアノを弾き始めると、モーツァルトの頬は次第に紅潮し始めました。
突然モーツァルトはソファーから立ち上がり、青年の隣に立ち、簡単な旋律を口ずさみました。
「さて、ルードヴィッヒ君、これをテーマに即興曲を聞かせてもらえるかな」・・・と、
モーツァルトが言い終わらないうちに、彼は何のためらいもなく、与えられたメロディーを主題に見事な演奏を繰り広げていきました。
時空を超え、宇宙を思わせるような彼の演奏に、モーツァルトはしばし我を忘れて聞き入っていました。
「こいつは本物だ!」
天才モーツァルトを驚嘆させたこの若き音楽家こそ、あの「運命」の作曲者ベートーヴェンだったのです。
ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン。 ドイツライン湖畔のボンに祖父の代から音楽家という家系に生まれました。
祖父は温厚で人望のある宮廷音楽家。ルードヴィッヒは幼い頃から祖父のような音楽家になるのが夢でした。
ところが父親のヨハンは、宮廷テノール歌手という職はあるものの、これがどうしようもない飲んだくれ。
何としても息子のルードヴィッヒを第二のモーツァルトに仕立て上げようと、殴る蹴るのスパルタ教育ぶりはすさまじいものでした。
そんな彼をやさしく見守り続けていたのが、母マリア・マグダレーナでした。
「母は私の良き理解者であり、最良の友人であった」と、彼は後年母についてはこう供述していたほどです。
モーツァルトに認められ、希望に胸を膨らませていたのもつかの間。この後すぐに最愛の母マグダレーナの危篤の知らせを受けた彼は、一路ボンへともどりました。故郷へ戻ったベートーヴェンを待っていたのは、もうすでに衰弱しきった母の看病と、弟たちの面倒を見る毎日。
この頃ルードヴィッヒの祖父はすでに他界していた上、父親がろくに働かないのでベートーヴェン家の財政は悪化するばかりでした。
ルードヴィッヒの看病の甲斐もなく1887年に、マグダレーナは亡くなりました。この時ルードヴィッヒはまだ17歳。
多感な青春期に加え、母の死に直面した彼はなかなか精神的に立ち直れませんでした。しかし音楽が唯一の救いだったルードヴィッヒは宮廷オルガニストの職に就き、その他貴族の子弟たちに音楽を教えたりと、家計を支えていきましたがその苦労は並々ならぬものだったようです。
|
|
|
|
|
|
|
ベートーヴェンやモーツァルトが新曲を披露していた
カフェ・フラウエンフ−バー
|
さてここで当時のボンについて、ちょっとお話しましょう。
その頃のボンは当時にしては珍しく軍隊のない都市で、マリア・テレジアの末息子のマクシミリアン・フランツが選帝侯でした。
彼も他の兄弟達と同じでご多分に漏れず、芸術を好む君主でした。ですからこの自由な気風が、ベートーヴェンの才能を開花させるのに大きな役割を果たしたようでした。
そしてこのラインガウ地方で忘れてはならないのがワインです。
リースリンク種というブドウを使ったこの地方のワインは、コクと強い酸味がエレガントに調和されたドイツワインの最高峰と言われています。
ベートーヴェンのワイン好きはつとに有名ですが、後年ウィーンに住んだ彼は、このラインガウワインを懐かしんだと言われています。
ここでご紹介するトルテも、ラインガウ地方のロベルト・ヴァイル醸造所のものを使いました。ワイン好きにはたまらない逸品かもしれません。
さて、その後のルードヴィッヒに話を戻しましょう。貴族の子弟達に音楽を教えることで、ルードヴィッヒはウィーンの名門ヴァルトシュタイン伯と知り合いになります。自らも音楽家であるヴァルトシュタイン伯は、ルードヴィッヒの才能を大絶賛し、彼への援助を惜しみませんでした。
こうしてヴァルトシュタイン伯爵等の助力もあり、1792年ルードヴィッヒは再びウィーンの地を踏むことができました。
師と仰いでいたモーツァルトはその前年に亡くなっていて、ここで彼はハイドンと、モーツァルトの天敵であったサリエリに師事します。
ハイドンからも賞賛の言葉を受けたルードヴィッヒは、ピアニストとしてウィーンでデビューを飾り、社交界でも時代の寵児となりました。
当時はなかなかの社交家で話し好き。おまけに当代きってのピアニストとあれば、女性達が放っておきません。
その中の一つにおもしろいエピソードがあります。1799年彼はピアノの教え子の一人であるハンガリーの貴族グィッチャルディ伯爵の令嬢ジュリエッタにモーションをかけられ、恋に落ちます。そしてその時にあのピアノ曲の名曲中の名曲 「月光」を彼女に捧げたのでした。
いやいや、いつの時代も女性の力はすごいものです。
ところがそんな熱烈な愛もジュリエッタの両親の猛反対に会い、彼女はあっけなく他の貴族と結婚してしまいます。
そんな事があったからこそ、後に生まれる多くの名曲が、枯れることがない泉のように湧き出てきたのでしょう。
そんなある日のこと、いつものようにピアノに向かった彼に異変がおこりました。
すさまじい耳鳴りが彼を襲ったのです。ルードヴィッヒはその場に崩れ落ち絶望の縁に立たされたのでした。
「耳が・・・耳が聞こえない!」
それではヤオゼにいたしましょう。(コーヒータイムをウィーンではヤオゼと言います)
今回のケーキは、白ワインが贅沢に入ったクリームがウィーンの香りを運んで来てくれそうなトルテです。
ちょっと難しいかもしれませんが、お客様をお招きした時に喜ばれること間違いなしの逸品です!
|