シューベルト  前編
シューベルト
シューベルト

「おめでとう、シューベルト君。今日から君はこの合唱団の一員だよ。 1808年、この時11歳のフランツ・シューベルトは現在のウィーン少年合唱団の前進である「王室宮廷礼拝合唱団付き少年合唱団」の試験に合格し、合唱団員として迎えられました。


フランツ・シューベルト。1797年1月31日に教師であるフランツ・テオドール・シューベルトとエリザベートの間に12人兄弟の末っ子として生まれました。彼は音楽の都ウィ−ンに生まれ育った、数少ない生粋のウィーンの作曲家であるため、ウィーンの人達にとっては特別な思い入れがあります。


皆さんはシューベルトって聞くとどんなことを思い出されますか? モーツァルトのように華やかな逸話があるわけでもなし、かと言ってベートーヴェンのように強烈なイメージもないし.....。 「野ばら」や「アヴェ・マリア」を作曲した丸めがねがトレードマークのちょっと地味な作曲家・・・というところでしょうか。 
確かにシューベルトはモーツァルトやベートーヴェンと違い、王侯貴族の援助は受けていなかった上に、内気であったため、これと言って際立った話はありません。 ところが生涯にわたり、これほど人を惹き付ける魅力があった作曲家も珍しいかもしれません。 え、どんな魅力かですって・・・?
それはこれからお話をいたしましょう。

シューベルトの生家
シューベルトの生家

フランツが生まれたここヌースドルファー通り54番地で、熱心な教育者である彼の父親は学校を開いていました。 と言っても私達が知っているような学校ではなく、今で言う寺子屋のようなものでした。
ですから一日中家の中は子供達で大賑わい。そんな様子を幼いフランツは壁越しに聞くのが大好きでした。 「今日はへレーネが裏のドアから入って来たね」「ペーターは今日は悲しそうな声だね。どうしたんだろう」と、3才の頃から耳の良さを発揮して周りの大人達をを驚かせていました。


そんなフランツですから彼に音楽的才能があることを父、テオドールはすぐに見抜き、彼にバイオリンを教え、フランツは増々音楽の虜になっていきました。 しかし周囲の人々を惹きつけたのは、何と言っても彼の歌声でした。天上からきらめく星が降り注ぐように澄み渡った声を持つフランツ。 
それが証拠に、彼はすでに8歳の時にシューベルト一家が通うリヒテンタール教会の合唱団のボーイソプラノとして活躍していました。

そしてこの合唱団の監督であるホルツァー氏の勧めもあり、ウィーン少年合唱団の試験を受けたのでした。 しかしこの少年合唱団(www.wsk.at)は、完全寄宿制であるためフランツは親元を離れなくてはなりませんでした。
末っ子のフランツをことの他かわいがっていた母エリザベート。そして、お母さんっ子のとっても甘えん坊のフランツィ(フランツの愛称)。
入団当日、母エリザベートにつき添われて寄宿舎までの長い道を歩く幼いフランツの胸は、はり裂けそうでした。
「お母さん、家に帰りたい。お母さんのそばにいたいよ」
そう泣き叫ぶフランツの手に彼が大好きなケクセ(クッキー)を握らせて
「いい子でね、フランツィ。一生懸命勉強するのよ」
と、涙ながらにその場を立ち去りました。 とは言ってもそこが子供のいい所で、寄宿舎に入ってからのフランツはメキメキと音楽の頭角を表します。彼の才能は生徒達の間でも評判になります。

シューベルトの愛用したメガネ
シューベルトの愛用したメガネ

そして、ここでフランツの生涯の友人であり、彼の音楽の崇拝者となるシュパウンに巡り会います。 シュパウンは彼が作曲したピアノ連弾曲をフランツと一緒に弾きながらこう感嘆の声を上げました。
「すごいよ、フランツ。君はまるでモーツァルトみたいだね」
「ぼくもモーツァルトは大好きさ、シュパン。」
・・とフランツは急にモーツァルトの曲を歌うように弾き始めました。
・・とその時、バタンとドアが開き、イタリア訛のキツいドイツ語が聞こえてきました。
「君はいったい何を弾いているんだね!!」
ぎょっとしたフランツ達が声の主の方を振り向くと、そこにはこの合唱団を牛耳っている宮廷楽長が険しい顔をして立っていました。 なんとその人は、あのモーツァルトの天敵だったサリエリだったのです。(詳しくは第1回目2回目の「モーツァルト」をご覧下さい) ところがそんな彼らのいきさつを知らないフランツ少年は無邪気にこう答えました。
「はい、モーツァルトです。僕、彼をとても尊敬しています」
ああ、フランツ! なんでそんな事をいってしまうの? この後フランツにどんな運命が待ち受けているのか.......。
次回をお楽しみに。


さて、今回は料理上手なシューベルトの母、エリザベートが子供達のためにたくさん焼いたケクセ(クッキー)の中のひとつを作ってみましょう。 「ケクセ」とは本来はビスケットという意味ですが、ウィーンの家庭ではクッキーやビスケットのたぐいを総称して「ケクセ」と呼びます。写真後方に見えるのは、「プンシュ」と言ってスパイスがたくさん入った冬には欠かせないホットワインです。

トラウベンザーネトルテ(ブドウのトルテ)の写真
撮影・中島劭一郎
ゲシュプリツテ リンツァ−ベッカライ(絞り出しクッキー)
材料

  無塩バター(室温に戻す) ・・・ 110g
粉砂糖 ・・・ 40g
塩 ・・・ ひとつまみ
レモンの皮をすりおろしたもの ・・・ 少々
バニラエッセンス ・・・ 少々
全卵(溶きほぐしたもの) ・・・ 1/2ヶ分
薄力粉(ふるう) ・・・ 150g
アンズジャム(裏漉す) ・・・ 適宜

その他:絞りだし袋と好みの型の口金
作り方

1: ボールにバター、粉砂糖、レモンの皮、バニラエッセンス、塩を加え白っぽくなるまで撹拌する。
2: 1)へ全卵を加え混ぜ、ふんわりした生地になったら薄力粉ヘラでザックリと加え混ぜる。
3: 2)生地を口金をつけた絞り出し袋に入れて好みの型に絞り出す。(ここでは出来上がった後に2枚一組にするので、出来るだけ同じ大きさに絞り出しましょう。)
4: 3)を170℃のオーブンで、淡い狐色になるまで焼く。(クッキーの大きさにもよりますが、10分程度です)
5: 4)が焼けて完全に冷めたら2枚一組にして間にアンズジャムを絞る。
もちろん他のジャムでもいいですよ
6: ジャムが固まったらできあがり。
高山厚子のプロフィール
高山厚子さんの写真東京都出身

フェリス女学院大学音学科ピアノ科卒業後、ウイーン・コンセルヴァルトワールに留学。シュタートラー教授にピアノを師事。
ウイーンガストロノーミッシェ・インスティテュートにおいて、ヴォルフガング・カルプヘン氏にウイーン菓子を師事する。
スイス・バーゼルにおいてカール・シルマン氏にマジパン細工を師事する。
その他、デュッセルドルフ、コンディトライ カフェ・マウス
ハーゲン、カンデルン、カフェ・ラコステにおいて研修を積む。
 日墺文化協会会員 
 日墺文化協会主催「ウイーンのお菓子教室」講師
 高山厚子著書「ウイーン菓子12ヵ月」文芸社
 
日墺文化協会(http://austria.gooside.com/)

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