与論島通信
文・児玉幸生

憧れのギンヤンマ。
 
僕がトンボ捕りに夢中になったのは、幼稚園から小学生の頃。
北区の赤羽で育った僕は、友だちとよく荒川に魚釣りに行った。
夏休みのある日、川の支流が溜った池のようになっているところで釣りをしていた。ぼんやりしながらウキを見ていると、岸辺から2メートルほど離れた水面を、トンボがスイスイ飛んでいた。いつも見かけるトンボとは違う大きな目。緑色の身体に腰の部分は明るい青色。透きった羽根。色もかたちも美しいトンボだった。
僕は、そのトンボに見とれ、かっこ良さに胸がドキドキした。釣れた魚のことより、トンボのことが気になった。
急いで本屋さんに行った。さきほど見たトンボの姿は、僕の脳裏にしっかり焼きついている。僕は、昆虫図鑑でトンボを調べた。載っていた。
名前は「ギンヤンマ」。
僕は、昆虫図鑑を何度も読み返し、誌面をじっと見ていたら、本屋の親父にハタキでパタパタ頭を叩かれたことを憶えている。
ギンヤンマを眺めるだけでなく、捕まえてもっとしっかり見てみたいと思った。
あの頃、トンボを捕まえる網は駄菓子屋さんで売っていた。網の値段は30円。
一日のお小遣いが10円だから、三日我慢すれば買えるのだが、その30円がなかなか貯まらない。
数日後。どうにか30円ため、網を買って魚釣りをした場所に出かけた。
その時の気分は、受験に向う心境と似ている。「絶対、ゲットしてやる」と、意気込んでいた。
僕は、岸辺の草むらでギンヤンマを捕まえるチャンスを待った。
シオカラトンボ、コシアキトンボはすぐ近くまで来るが、ギンヤンマは警戒心が強いのかなかなか近くまで来ない。夕暮れになるまでトンボを追いかけたが、その日は捕まえることができなかった。
3日後、僕はまた同じ場所に出かけた。
ギンヤンマは、まだ池の水面をパトロールするように飛んでいた。
とにかく他のトンボよりギンヤンマの動きは速い。めずらしく手が届きそうな距離まできた。
「チャンスだ!」。僕は身を乗り出して網を振りかざした。
網は空を切り、僕は転んでまっ逆さまに池に落ちた。
びしょ濡れの身体を引きずるように、僕は家に帰った。家に帰った僕を待ち受けていたのは、親父の雷。結局、僕は小学生のときには、ギンヤンマを捕まえることができなかった。
去年、ゴルフに行ったとき、グリーンの手前にある池の回りを飛び回っているギンヤンマを見て、幼い日のできごとを思いだした。
このギンヤンマがきっかけになり、トンボ捕りがエスカレート。
その後40年。いまでも暇さえあれば、トンボ捕りと魚釣りに出かけている。

トンボの解説
◎ ギンヤンマ:日本全国に生息する大型の美しいヤンマ科に属するトンボ。
地方によっては、メスのギンヤンマをチャンと呼ぶ。ギンヤンマの成虫が羽化するのは地方差があるが、関東では6月頃から見られるようになる。

 
プロフィール
児玉幸生(パン製造業)


1947年  東京都生まれ
高校卒業後、石津健介氏の(株)VANに就職。
かたわらモデルとしてサントリーのCMなどに出演。
25歳でVANを退社。父親のパン製造を継いで「デイジイ」を設立。
1997年 甥の倉田博和がデイジイを代表してパンのプロ・コンテストに出場。日本一になり農林水産大臣賞を授与される。
2004年 横浜市青葉区青葉台に「Von Vivant (ボンヴィヴァン)」を出店。

趣味のトンボ捕りは、小学校時代から現在まで続いている。日本はもとより、東南アジア、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアなど、トンボを追いかけすでに数10カ国を歴訪。現在に至る。

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