与論島通信
文・児玉幸生

あの頃へ。
 
仲の良かった友人が、赤羽から八王子に引越した。
4月の終わり頃、僕は友人を尋ね、ふたりで八王子郊外にある高尾山へ登った。
山頂でおにぎりを食べ、裏高尾を下山途中、谷川の冷たい川の流れに素足をさらしながら、昔の思い出話しをしていた。
そのとき僕の顔の前を、ブーンと音をたてながら飛んで行く虫がいた。スピードは、かなり速い。よく目をこらして見ると、トンボだった。
見慣れないトンボなので、気になってトンボが飛ぶ姿を何度も目で追った。
いままで見たことがないトンボなので、家に帰ってから昆虫図鑑で調べた。
なんと、あの日飛んでいたのは、「生きた化石」といわれる「むかしトンボ」だった。このとき僕はトンボが飛ぶのは夏だけではないことを始めて知った。
5月になり、もう一度むかしトンボに会いたくなり、甥の博和を誘って、再び高尾山の谷川に行った。川の上流、下流、周辺をくまなく散策したがむかしトンボを見つけることができなかった。
昼飯も食べずに歩き回り、お腹を空かせながら甲州街道を歩いていると、道路の脇にぽつんと一軒、小さな店があった。店ではおいしそうな匂いを漂わせながら、肉屋の親父さんがコロッケを揚げていた。
僕たちは、お腹がグーグー鳴っていたが、お金がなかった。博和は一円も持っていないし、僕も小銭しかなかった。僕はポケットにあるお金を何度も計算して、ふたり分の電車賃だけは確保した。すると20円あまった。コロッケは一個10円。
「叔父さん、コロッケ2個ください」と、僕は叫ぶように言った。
そしたら店の叔父さんが、僕たちをジロッと見渡してから、なにも言わずにコロッケを一個おまけしてくれた。
僕たちは紙袋に入っているアツアツのコロッケを手のひらに乗せ、小走りに肉屋の裏手を流れる川辺に行った。ふたりとも、なんだかうれしくて、「うまいなあ、このコロッケ」と、笑顔で頷きあった。
コロッケを食べている僕に、博和が呟いた。
「このコロッケを、コウちゃんのお父さんが焼いているパンに挟んだら、いっぱい売れるね」と。
僕は、博和が言ったその言葉をいまでも忘れない。
まだ、あの頃パンの間にコロッケを挟んだデザート・パンなどを売っている店はなかった。さすがに博和はパンづくりの天才。
あの日、彼はまだ小学生だった。小学生の博和はコロッケを食べながら、無意識にパンのことを考えていた。
凡人である僕は、パンづくりはほどほどに、トンボや魚、ときには女性を追いかけるのほほんとした日々を過ごしているが、やはり博和は子供のときから違っていた。いま倉田博和は、僕同様パンづくりの道に進み、僕たちが経営するパン屋「デイジイ」の顔になり、「パンの鉄人」と言われる日本の顔になった。
 

トンボの解説
◎ むかしトンボ(日本特産種) Epichlebia Superstes:
北海道、本州、四国、九州などに分布。
あまり人手の入れない森林に囲まれた山間の渓流域に生息。
4月から6月はじめまで。

 
プロフィール
児玉幸生(パン製造業)


1947年  東京都生まれ
高校卒業後、石津健介氏の(株)VANに就職。
かたわらモデルとしてサントリーのCMなどに出演。
25歳でVANを退社。父親のパン製造を継いで「デイジイ」を設立。
1997年 甥の倉田博和がデイジイを代表してパンのプロ・コンテストに出場。日本一になり農林水産大臣賞を授与される。
2004年 横浜市青葉区青葉台に「Von Vivant (ボンヴィヴァン)」を出店。

趣味のトンボ捕りは、小学校時代から現在まで続いている。日本はもとより、東南アジア、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアなど、トンボを追いかけすでに数10カ国を歴訪。現在に至る。

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