男の雑貨
文・写真 和田州生

ミヒャエル・エンデ
 
ミュンヘンとミュンヘン郊外に眠る人々編
ミュンヘンは私にとっては思いでの地。1966年8月、希望に胸を膨らませ、小躍りして羽田空港を飛び立ちました。目的地は、西ドイツ・ミュンヘン。
新聞社の仕事を手伝いながら、ドイツのデザイン及び写真芸術を学ぼうと、意気揚々パンアメリカン航空世界一周便のローマ経由でミュンヘンに向いました。
内心いつ日本に戻れるのか、ビクビクしていたのが昨日のことのように思い出されます。最初の6ヵ月間は、ドイツアルプス近郊の美しい湖のほとりにあるワルヘンゼー・ドイツ語学校に寄宿しました。ここでは世界中から集まった留学生が、朝8時から夕方5時くらいまで、毎日ドイツ語を勉強させられました。
私の人生のなかで、これほど勉強したことはありません。
その後コッヘルに移り、農家の一軒家を借りミュンヘン市内まで新聞社の仕事に通いました。コッヘルは、私がドイツ鉄道に乗って最初に降り立った駅です。
お墓の話で、あとからコッヘルがでてきますが、そのときはまったくお墓に関係あるとは考えてもいません。
下宿先は、音学家の奥さんと建築家のご主人の家で、5人の学生が住んでいました。ほとんどの学生は音楽志望で、各部屋にピアノが置かれ、ピアノの音で毎朝目が醒めました。でもここでの集団生活が、ドイツに馴染む良い機会となりました。
1967年、晴れてミュンヘン写真学校マイスターコースに入学。クラスの仲間は14人。ドイツの各地から集まってきているので、みんな下宿生活。授業が終わったあと、毎晩近くの居酒屋でビール片手に写真や芸術論を戦わせました。
また時間があると、学校近くのアルテ・フリトーフ(旧墓地)の中を散策し、好きな墓標を撮影したり、覗いたりしていました。ここの墓地は、ミュンヘンでいちばん古く歴史を感じさせる墓標がたくさん存在しています。また市内にあるのに、樹木が多く静かなので市民の憩いの場にもなっています。

ミュンヘンには、大きく分けて東西南北4つの墓地と郊外に森林墓地と呼ばれる自然を生かした広大な墓地があります。今回皆さまにご紹介したいのは、西墓地と森林墓地です。四季折々の草花や木々の香りがおいしい空気と溶け合ってリラクゼーションには最適な場所です。

 
ミヒャエル・エンデ マックス・レーガー
パウル・フォン・ハイゼ
ヴェルナー・ハイゼンベルグ
 
森林墓地では、ミヒャエル・エンデ(1929〜1995年)作家、パウル・フォン・ハイゼ(1830〜1914年)作家、フランク・ヴェデキント(1864〜1918年)劇作家、マックス・レーガー(1873〜1916年)作曲家などのお墓を訪れることをお勧めします。
ドイツで最初のノーベル文学賞作家ハイゼや、日本で大変人気のある「モモ」「はてしない物語」の作家エンデの墓は、訪れる人に感動を与えるでしょう。
もうひとり忘れることができないのが、1932年アイソピンの発見者でノーベル物理学賞を受けたヴェルナー・ハイゼンベルグ(1901〜1976年)の墓です。
ヴェデキントやレーガーなどの墓も四季の美しい墓です。

フランク・ヴェデキント

フランツ・フォン・レンバッハ
ミュンヘンに来たらぜひフランツ・フォン・レンバッハ(1836〜1904年)の墓を訪れることをおすすめします。19世紀に活躍した著名な肖像画家です。ビスマルクやワーグナーの肖像画が特に有名ですが、同時に芸術家の愛護者でもありました。現在は彼が住んでいた邸宅が、レンバッハハウス美術館として解放され、彼の作品とコレクションを見ることができます。なかでもカンデンスキーを中心とした「青騎士」のメンバー、マッケ、マルク、クレー、ヤウレンスキー、ミュンターの作品を心ゆくまで鑑賞できます。多くの作品はミュンターからミュンヘン市に寄贈されたものです。
 

ガブリェーレ・ミュンター

フランツ・マルク
 
では「青騎士」の守護女神ガブリエル・ミュンター(1877〜1962年)画家のお墓もご紹介いたします。ナチスからの弾圧耐えカンデンスキーなどの作品群を守り抜いたお陰で、現在私たちが鑑賞することができるのです。ミュンヘン郊外の風光明美な町、ムルナウの教会墓地にひっそりと眠っています。近くにはミュンターハウスと呼ばれている彼女の家があり、曜日や時間に限りがありますが、見学することができます。作品はこの家の柱の中などに隠していたといいわれています。
ムルナウの近くコッヘル湖の町に同じ「青騎士」のメンバー、フランツ・マルク(1880〜1916年)画家の墓があります。この町は、私がドイツで始めて降りた駅で、最初に怒られた場所でもあります。ドイツ語が分からなかったので、禁煙車で喫煙し、乗客のおばあさんにこっぴどく怒鳴られました。駅構内のトイレに飛び込んだのですが、細かいお金が必要だとは思いもしませんでした。
日本の生活では考えられないことだったので、あわてたのをいまでも憶えています。ここからバスでワルヘン湖の語学学校に出発し、ドイツの生活が始まり、
でした。
フランツ・マルクは第一次世界大戦に従軍し、わずか36歳の短い人生でした。
彼がもっと長く生きていればと、残念に思います。
コッヘル、ワルヘンゼー、ミッテンバルト、ガルミッシュ、パルテキルヘンはドイツアルプスの観光ルートとして、世界中から多くの人々が訪れます。
ドイツ最高峰のツークシュピッツの登山口ガルミッシュ、パルテキルヘンにはミュンヘンが生んだ偉大な音学家リヒャド・シュトラウス(1864〜1949年)作曲家、指揮者のお墓があります。山裾の墓地はとても穏やかで、シュトラウスが眠るには最適な場所かも知れません。
 

リヒャルド・シュトラウス
和田 州生(わだ くにお)
クリエイティブ・ディレクター&写真家

(財)日本写真家協会会員。日本写真芸術学会会員。
1943年 茨城県日立市に生まれる。日本大学芸術学部者新学科卒業後、新聞社特派員としてドイツ・ミュンヘンに駐在。ヨーロッパを中心に写真と記事を発信する。その後バイエルン州立ミュンヘン写真大学マイスターコース入学・卒業(現ミュンヘン応用科学大学)。帰国後、和田州生写真研究所を設立。広告写真を中心に活動。2年後、再びドイツ・フランクフルトに日本の広告代理店駐在所長として赴任。クリエイティブ・ディレクター&写真家として広告制作、出版、商品企画などを担当。個展6回、JPS展などグループ展多数。現在に至る。

主な出版物
◎ 人気現代絵師による「今様羽子板絵競」
◎ かなで書く「小倉百人一首」
◎ 「風還元」大平和正+三人の写真家
◎ 「DER Friedhof愛の墓」出版ピエ・ブックス

 

掲載写真をご希望の方は、
  Smart Garden編集部 担当石原までご連絡ください。
  TEL : 03-3459-0246
  FAX : 03-5403-7481
  E-mail : isihara@look-line.com


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