男の雑貨

死ぬまでガラクタ
文・写真 野呂珍平
 
男はバカである。
生活に必要がないもの。ムダなものにお金を使う。
ブリキのオモチャ、ガラスビン、ハワイアン人形、サッカーのフィギュア、エッフェル塔や東京タワーのお土産用ミニチュア、モダン・コケシなどなど。
これらの商品は、世の中ではガラクタとか雑貨と呼ばれている。
つまりムダの象徴である。
ときには日常生活で役にたつビアグラス、マグカップ、スプーンを買ったりするが、妻からは見向きもされない。
なにしろガラクタへの想い入れは、独身時代から続いている。
そのコレクション歴約40年。1ヵ月に3個ガラクタを買うと、3個×12ヵ月×40年で1,440個のガラクタが存在することになる。
すでにブリキのオモチャは300個を越え、ガラスビンは60本以上。
サッカーや野球のフィギヤも80体ほどと、思い浮かべるだけでもかなりばかげた数を所有している。
困ったことに、近頃「なんでも鑑定団」という番組が有名になり、ブリキのオモチャの値段が高騰。なかには30万円などという高値をつけて視聴者を驚かせるが、僕がもっているブリキは安物ばかり。
家族からは「どうせブリキを買うのなら、ドーンとひとつ価値があるものを買う方がテレビに出られるし・・・じゃまにならなくていいんじゃない」と、バカにされる。
そのつど僕は弁解がましく、「あれはブリキのオモチャでも骨董の領域に入る貴重品で、僕のモノは単なるガラクタ。骨董品には興味がないの」と、言い訳している 。
集まってしまったガラクタは、引っ越しのときがいちばん困る。すでにわが家は7回も引越した。安物とはいえ、愛着があるから簡単に捨てられない。引越しのときは、とりあえずガラクタをひとつひとつパックして、段ボールのケースに入れる。5年前、深大寺から渋谷への引越したときはガラクタだけで30ケース以上になった。
このときだけは、自分で自分のバカさかげんにあきれた。
渋谷の住まいは狭く、ガラクタを収納する場所がない。ガラクタは段ボールに入ったまま20ケースほど、部屋の隅に積み重ねておいた。運良く、2年前から田舎で一人暮らしをしていた母親が介護施設に入れたので実家は空家になった。
そこで僕は母親のお見舞いをかねて、僕の部屋に収納しきれないガラクタをそのつどクルマで実家に運んだ。
ガラクタは、ほとんどが作者の名前もわからなければ、製作会社も不明なものが多い。例えばブランド名のないマグカップ1個の値段は800円前後。これがロイヤルコペンハーゲンのようなブランド品だと5000円くらいする。
でも僕にとっては、ロイヤルコペンハーゲンよりお土産屋で売っているマグカップの方が魅力的で貴重に思える。フラダンスの絵柄が可愛らしいマグカップはハワイでなければ手に入らないが、ロイヤルコペンハーゲンのマグカップなら、日本のデパートで買える。
だから僕はハワイに行った時は、ハワイ的な絵柄のマグカップをスーベニール・ショップで探す。去年は、何種類ものサーフィンボードが描かれているマグカップをホノルルのABCストアで買った。値段は8ドル。恐らく中国製だろうが、そのカップでコーヒーを注ぐたびにハワイの海を思い出す。
旅先で買ってきたガラクタは、しばらくのあいだ部屋に飾ったり、使ったりしている。高価なものではないから、たとえ割れても後悔しないし、気軽に使える。それにガラクタはブランド品のようにすましたところがなく、愛嬌のあるところがいい。素朴で温かく、気持ちをなごませる。
恐らく僕は、死ぬまでガラクタとのつき合いが続くだろう

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